【後編】ラリー 遠田
制約なんて、当たり前。勝負は「ルール中で、どう個性を発揮するか」
お笑い史から考える、「ルールと個性」の関係
2022.02.24
テレビを観ていて、「なんだか随分“まとも”になったなぁ」と思うことがあります。ぼくは1990年生まれですが、小さいころのテレビ番組は、いま思えばめちゃくちゃなものでした。ぼくより上の世代の方であれば「90年代のテレビなんてかわいいもん。昔はもっとひどかった」と言うかもしれません。
そんな風に、テレビ番組は時代に合わせて変化し続けています。『うにくえ』は、テレビドラマという切り口から「個性」について考える記事を掲載していますが、今回は同じテレビでも「お笑い番組」にフォーカスを当てます。
お話をうかがったのは、お笑い評論家・ラリー 遠田さんです。ラリーさんが「お笑い評論家」という個性的な職業に就くまでの経緯と「好き」を仕事にするためのポイントを聞いた前編につづき、後編では80年代からのお笑いの歴史を紐解きながら、「お笑いと個性」について考えていきます。何かと制約が多い環境の中、いまのお笑い芸人たちは、「やりづらい」と感じているのでは?──そんな問いに、ラリーさんは「そんなことはないはず」と答えます。その真意とは?
( POINT! )
- 80年代のとんねるずブームは、現在のヒップホップブームに通じる
- ダウンタウン飛躍の背景にあるのは、社会を覆う「不安」だった?
- 制作者の力が強くなり、お笑い芸人という「株式」の値が落ちた
- 「お笑い芸人」の株価を再び押し上げた『M-1グランプリ』
- テレビ番組のターゲットが変わり、お笑い番組が復活した
- ルールが変われば、ゲームが変わる
- お笑い芸人たちは、常に新しいゲームの中で「笑い」を追求し続ける
- 「最先端のお笑い」が、これまでで一番面白い
ラリー 遠田
作家・ライター、お笑い評論家。1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。専攻は哲学。
テレビ番組制作会社勤務を経て、フリーライターに。在野のお笑い評論家として、テレビやお笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。
『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』 (イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『この芸人を見よ!』(サイゾー)など著書多数。
とんねるずは、「ヒップホップ」だった?
後編ではお笑いの歴史を紐解きながら、お笑いと個性の関係に迫っていきたいと考えています。
ラリーさんがお笑いに本格的にのめり込み始めたのは1990年代初頭だったとのことでしたが、そのころお笑いの中心的な存在だったのはとんねるずやダウンタウンですよね。なぜ、彼らのお笑いはあれほどまでに大流行したのでしょうか?
ラリー
とんねるずとダウンタウンは売れ出した時期がずれていて、とんねるずの方が先なんです。彼らは80年代からテレビで活躍し、1983年に始まったフジテレビの深夜番組である『オールナイトフジ』に出演したことなどをきっかけに大きな飛躍を遂げることになります。
デビュー当初のとんねるずの特徴は「素人性」にあります。最初にテレビに登場したとき、彼らはまだ高校生でした。それまで、お笑い芸人は特定の師匠のもとで下積み時代を過ごし、やがてテレビデビューを飾るのが王道だった。しかし、とんねるずは誰からもお笑いを教わることなく、高校生の「素人」としてテレビに殴り込んできたわけです。その後、一度は民間企業に就職するものの、お笑い芸人としてテレビに舞い戻った2人は「素人のまま」好き放題やることによって、人気を獲得した。
「素人っぽさ」がウケたのはなぜでしょうか?
ラリー
それを説明するには、80年代がどんな社会だったのかを説明しなければなりません。80年代に若者文化の中心を担っていたのは「しらけ世代」と言われる世代です。その定義にはバラつきがあるのですが、ここでは1952年から60年生まれをこの世代だとしましょう。とんねるずの重要なブレーンの一人である秋元 康さんも1958年生まれなので、この世代にあたります。
「しらけ」という言葉に象徴されるように、政治や社会に対して無関心な世代とされています。学生運動などの政治的な活動をさかんに展開していた一つ上の世代からすると、気に食わないわけですよね。だから、「なんでお前らはそんなにだらしないんだ」と言われて育つことになった。
80年代の文化というのは、そんなしらけ世代の「開き直り」によってつくられたものだと思うんです。「だらしない」と言われ続けて抱くことになった上の世代に対するコンプレックスのようなものが、「だらしなくて何が悪いんだ!」と爆発したわけです。
だからこそ、それまでは「子どもっぽい」と見なされていたアニメなどのサブカルチャーが大人たちの間でも大人気になった。たとえば、『機動戦士ガンダム』シリーズが始まったのは1979年で、80年代に入ってから幅広い年代からの支持を獲得することになる。
「大人」に対するカウンターカルチャーだったのですね。
ラリー
そう。80年代のカルチャーとは、既存の「正しさ」、言い換えれば権威の破壊だったわけです。そういった文化的な状況と、特定の師匠を持たず、「素人のまま」テレビで暴れまわるとんねるずは、非常に相性がよかった。
80年代のお笑い界の状況に目を向けると漫才ブームが起きていたわけですが、一方のとんねるずは伝統的な漫才の形式なんて意に介さず、「俺たちの言葉」を「俺たちのやり方」でしゃべっていたわけです。それが当時の同年代に響いたのだと思います。そういう意味では、昨今のヒップホップブームにも似たところがあるような気がしますね。
あとは、もちろん経済的な状況も影響していると思います。80年代といえば、バブル経済ですよね。1979年生まれの僕は当時はまだ子供だったので大人の社会でどういうことがあったのかは直接は知りませんが、社会全体が浮ついていた時代だったからこそ、あの荒唐無稽で、イケイケドンドンな感じがうまくハマったのでしょう。
ダウンタウンの時代から、お笑い芸人不遇の時代へ
「活躍し出したのは、とんねるずが先」とのことでしたが、ダウンタウンが活躍するようになったのは、どれくらいの時期なのでしょうか?
ラリー
80年代後半から大阪ローカルではすでに売れっ子だったのですが、全国区で本格的にブレイクしたのは90年代前半です。1989年に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』が、1991年に『ダウンタウンのごっつええ感じ』が始まっていますから。
とんねるずがバブル経済期のお笑いだとするなら、ダウンタウンはバブル崩壊後のお笑いだと言えるでしょう。バブル経済の崩壊によって社会が混乱していましたし、追い打ちをかけるように1995年には阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件が発生しました。また、1999年に人類が滅亡するとした「ノストラダムスの大予言」なども人々の脳裏に焼き付いていて、「この先、どうなってしまうんだろう」という不安が社会全体を覆っていた時期でした。
そんな時代だったからこそ、初期ダウンタウンが得意としていたシュールな笑いがウケたのだろうと思います。もちろん、90年代はとんねるずも大活躍していましたし、景気のよい笑いも下火になったわけではありませんでしたが、ダウンタウンが持つ、オタク的な独特のセンスが時代にハマったのではないでしょうか。
その後、お笑いはどのように変化していくのでしょうか?
ラリー
90年代後半、お笑い番組は「制作者の時代」になります。この時代を象徴するのが、1996年に始まった『めちゃ×2イケてるッ!』でしょう。それまでのお笑い番組は、ドリフターズや明石家さんまさん、あるいはとんねるずやダウンタウンといった芸人たちの強烈な個性によって成り立っていた。しかし、『めちゃ×2イケてるッ!』は総監督を務めた片岡 飛鳥さんをはじめとする、スタッフ陣の企画・演出が大きな力を発揮していた。
もちろん、ナインティナインや極楽とんぼといったレギュラー出演陣の力も大きかったとは思いますが、それ以上に芸人たちをまとめ上げ、演出することによって物語と笑いを生み出す制作陣の力量が際立っていたと思います。
テレビにおいては、制作者の力が強くなっていったと。
ラリー
そうした流れも背景に、その後はお笑い芸人不遇の時代がやってくる。1997年に『ダウンタウンのごっつええ感じ』が終了しますが、そのころからお笑い芸人が出演する番組が少しずつ減っていったんですよね。特に、いわゆる「ネタ番組」は数を減らし、『めちゃ×2イケてるッ!』のような演出重視の番組か、『進め!電波少年』のように、無名の芸人にとにかく身体を張らせることで笑いを生む番組が残った。90年代後半は、ことテレビ番組に関してはお笑い芸人が活躍しづらい環境だったと思います。
テレビ業界におけるお笑い芸人って「株式」のようなもので、その時々の環境によって価値が上がったり下がったりするんですよね。90年代後半は「お笑い芸人『安』」の時代だったとも言えるかもしれません。テレビはとても大衆的なメディアなので、流行りの移り変わりが速いんですよね。世間の空気に合わせて、ころころと「推し」を変えていくわけです。
ルールの中で個性を見せるのが、お笑い芸人の仕事
90年後半以降、再び「お笑い芸人『高』」になったのはいつごろだったのでしょう?
ラリー
2000年代中盤ごろではないでしょうか。きっかけをつくったのは、2001年に始まった『M-1グランプリ』。その後、2003年には『エンタの神様』が、2007年には『爆笑レッドカーペット』が始まり、ネタ番組の時代がやってくると共に、お笑い芸人の株も上がりました。
現在も、いわゆる「第7世代」が大活躍しており、お笑い芸人の株が高い時期のようにも思えます。
ラリー
そうですね。「しらけ世代」と同じく、第7世代の定義も曖昧なのですが、僕の著書である『お笑い世代論』でもそうしたように、ここでも「1989年以降生まれの芸人」としましょう。
第7世代の活躍は、テレビが若者向けのコンテンツをつくり始めたことに起因します。ここでは詳しく説明しませんが、テレビにとって最重要指標である視聴率は従来「世帯視聴率」のことだったのですが、視聴環境の変化にともなって、個人視聴率が測定できるようになり、中でもターゲットとする年代の視聴率を示す「コア視聴率」が重視されるようになったんです。
かつて、テレビが「一家に一台」だったころ、そのテレビで「何を観るか」を決定するのは大人だったわけですよね。だからこそ、世帯視聴率が重視される以上、大人に選ばれるコンテンツをつくる必要があった。ですが、コア視聴率が重視されるようになり、若者をターゲットとする番組が制作しやすくなった。
2004年に日本テレビが13〜49歳の男女を重点ターゲットとするコア視聴率を重要指標とすることを発表して以降、この傾向は加速していきました。ただ、明確に若年層をターゲットとする番組が増えたのは、ここ3〜4年のことだと思います。このころから、若い世代のお笑い芸人が活躍する番組も増えましたよね。
一方、社会全体がコンプライアンスを重視するようになり、番組づくりに課される制約が多くなったのではないかと思います。かつてのような「めちゃくちゃさ」は影を潜め、クリーンなお笑いが求められているのではないかと。ある意味では、お笑い芸人が個性を発揮しづらい状況だと言えるのではないかと思うのですが。
ラリー
テレビ番組でやれることが少なくなっているのは確かでしょう。でも、芸人たちが「やりづらい」と思っているかと言うと、そうではないと思うんです。そもそもお笑いって大衆的な娯楽なので、どんな状況だろうが、結局は世間の空気を読みながらやらなければならないものですよね。常にルールがあって、芸人たちはそのルールの中で笑いを取っている。そして、ルールが変われば、また別のゲームが始まるわけです。
将棋棋士の羽生 善治さんが、ある人から「AIが発達したことによって、ありとあらゆる局面が解析できるようになった。この状況において、人間の棋士は必要なのか」と問われ、笑いながらこんな風に答えたそうです。「だったら、『桂馬を横に動かせる』というルールにしてしまえばいい。そうすれば、まったく新しいゲームが生まれる」と。
お笑いもそうなんです。以前のゲームでは使えなかった作戦も、新しいゲームの中では使えるかもしれないじゃないですか。だから、「ルールが変わること」は、「制約が増える」ことにもつながるかもしれませんが、同時に新たな笑いを生み出せるチャンスでもある。
そもそも、お笑い芸人って場を見て柔軟に作戦を変えられる人たちなんですよ。舞台用のネタとテレビ用のネタは全然違いますし、舞台でもその日のお客さんたちの顔ぶれや反応を見ながら「こっちのネタで行こう」と判断している。だから、世間の空気が変われば、「そういうことなら」と柔軟に変化するだけなんです。それができない芸人は生き残れませんよね。
最先端のお笑いは常に、これまでで一番面白い
自らの個性をしなやかにルールに適応させ、笑いを取るのがお笑い芸人の仕事というわけですね。お笑いをめぐる環境の変化という意味では「プロフェッショナルとアマチュアの差がなくなっている」ことも挙げられるかと思います。お笑い芸人ではないけど、YouTubeやTikTokでネタを発信してる方々も増えています。そういった状況において、「お笑い芸人」には何が求められていると思いますか?
ラリー
「お笑い芸人である」という自覚と誇りを持つことではないでしょうか。YouTubeでチャンネルを持つお笑い芸人も増えていますが、それはそれでいいと思うんです。どんどん新しいことに取り組むべきだと思います。ですが、「自分はお笑い芸人だ」という自覚をなくしてしまうと、それこそ「YouTuberと何が違うの?」って話になるわけですよね。
もちろん、YouTuberにも面白い方はたくさんいますし、どちらが上でどちらが下という話ではありません。プロフェッショナルとアマチュアの境目が限りなく曖昧になっているからこそ、両者を隔てるのは「意識」しかないと思うんです。笑いのプロフェッショナルとしてのお笑い芸人という道を選択した以上、「プロフェッショナルである」という自意識とプライドを持つことが求められているのではないでしょうか。
なるほど。お笑いだけではなく、さまざまな領域で同じことが言えるかもしれませんね。ラリーさんはお笑い評論家として、言い換えればお笑いを見るプロフェッショナルとして、「お笑い」をウォッチし続けていますが、どんな点に魅力を見出していますか?
ラリー
どんどん新しいお笑いが出てくるところですね。たとえば、第7世代を代表する霜降り明星は、漫才の中に「言葉の面白さ」と「動きの面白さ」を両立させたという意味で画期的だったと思います。そんな風に、何年お笑いを見続けていても「そう来るか」という新鮮な驚きと面白さがあって、飽きないんです。
これはお笑いに限ったことではないと思うのですが、懐古主義的に「昔はよかった」
という人がいるじゃないですか。僕の同世代でも「『ダウンタウンのごっつええ感じ』ほど面白い番組はもうない」と言う人がいますが、僕はそうは思わないんです。もちろん、『ダウンタウンのごっつええ感じ』もとても面白かったのですが、結局は「いま、この時点で面白いと思われているもの」が一番面白い。お笑いもどんどん進化しているので、今のお笑いが昔のお笑いに劣っているなんてことはないと思います。
若い感性を持った芸人が、その時代の空気に合わせて自らの個性を発揮しながら「お笑い」を更新し続けているわけです。変わらないものがあるとすれば、さまざまな社会的なコンテキストからはかけ離れた「ただ、観る者を笑わせたい」という気持ちだけ。「お笑いは、お笑いでしかない」ところが、僕は好きですね。
[取材・文]鷲尾 諒太郎 [撮影]高橋 団 [編集]小池 真幸