【前編】ラリー遠田
「好き」の解像度を上げるため、「どう好きか」まで深掘りしてみる
お笑い評論家が、「自分らしい」仕事にたどり着くまで
2022.02.17
みなさんはお笑い番組を観ますか? テレビの中で綺羅星のごとく活躍し、ぼくらに笑いを提供してくれるお笑い芸人たち。明日を頑張るための活力をもらっている人も少なくないはずです。
そんなお笑い番組やお笑い芸人たちをウォッチし、その面白さを伝え続けている人がいます──“お笑い評論家”であるラリー遠田さんです。この個性的な職業に就かれているラリーさんのキャリアに、自分らしく生きるためのヒントが隠れているかもしれない……ということで、ラリーさんにお笑い評論家になるまでの道のりをお伺いしました。
「『好き』を見つけるだけではなく、さらに深堀りして考えることが『自分らしい』仕事を見つけるためのヒントになる」。自らの経験も踏まえ、そう語るラリーさん。キャリア論だけではなく、評論や批評に関するあれこれ、日本のお笑いの特性などにも及んだインタビューをお届けします。
( POINT! )
- お笑いにハマったきっかけは、ダウンタウン
- 新卒入社したテレビ制作会社で感じた、仕事内容とのミスマッチ
- 「お笑い」×「書く」。2つの「好き」が導いたお笑い評論家の道
- 紙からWebへ。メディアの過渡期だったからこそ、ポジションを確立できた
- いまも直面する「素人のクセに」という壁
- お笑いというジャンルは、評論されることに慣れていない
- 日本のお笑いの特徴は「社会的でない」こと
- 「評論する」のではなく、「紹介する」
- すべてはお笑い業界のために
- 「好き」の解像度を上げることが、「自分らしい」生き方につながる
ラリー遠田
作家・ライター、お笑い評論家。1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。専攻は哲学。
テレビ番組制作会社勤務を経て、フリーライターに。在野のお笑い評論家として、テレビやお笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。
『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』 (イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『この芸人を見よ!』(サイゾー)など著書多数。
お笑いは大好き、でも「つくる」のは向いていなかった
「お笑い評論家」ということは、やっぱり、小さいころからお笑いが好きだったのですか?
ラリー
そうですね。僕は1979年生まれで、幼少期には『8時だョ!全員集合』や『ドリフ大爆笑』、あとは『欽ちゃんのどこまでやるの!』などを観ていた記憶があります。『8時だョ!全員集合』は1985年に、『欽ちゃんのどこまでやるの!』は1986年に終了しているので、うっすらとした記憶しかありませんが。
本格的にお笑いにハマったのは、ダウンタウンの登場がきっかけですね。ビートたけしさんや明石家さんまさん、ドリフターズのお笑いには小さいころから触れていたのですが、ダウンタウンのお笑いは彼らのそれとはまったく違うもので、衝撃を受けました。同じ時期に活躍していたとんねるずもそうですが、それまでのお笑い芸人とは違い、ダウンタウンには特定の師匠がいないんです。だからこそ、誰にも似ていない独自のスタイルを持っていた。
ダウンタウンのどんな点が、衝撃だったのでしょう?
ラリー
よく覚えているのは、カラオケ店のビックエコーのCM。小学5~6年生だった記憶があるので、1990から1992年ごろに放映されていたCMだったと思います。ダウンタウンが夫婦に扮して、ダイニングで会話しているんですよ。妻役の松本 人志さんが「今日の晩御飯はビッグエコーにしようかな」「ビッグエコーを焼いてみようかな」と。それに応じて夫役の浜田 雅功さんが「何を言うてんの」「できるんならやってみぃや。俺は歌いに行くから」とツッコむ。そんなCMだったと思います。
いまでこそダウンタウンはいろんなタイプの笑いの手法を駆使する芸人というイメージがありますが、当時はかなりシュールな笑いを前面に出していた。それがダウンタウン以前のお笑いにはあまりなくて、とても新鮮だったんですよね。
幼少期からたくさんのお笑いに親しんでいたのですね。その後、どのような進路を歩むのでしょうか?
ラリー
お笑い好き、テレビ好きが高じて、大学を出たらテレビ業界に進もうと考えるようになりました。そして、テレビ番組の制作会社に入社することになります。でも、入社してすぐに「番組作りは向いていないな」と感じるようになって。
もちろん、テレビやお笑いは好きなままでした。ただ、当然ですが「観る」のと「つくる」のでは大きく違いますよね。テレビ番組をつくるディレクターさんたちって本当にすごいんです。たとえば、5秒の映像を撮るために「ちょっと北海道行ってくるわ」って飛び出して行ってしまったり、1フレーム(1秒の30分の1)単位の編集に尋常じゃないほどのこだわりを見せたり。映像をつくるための、そういった職人的な執念が僕にはないなと思ってしまった。そうして制作会社には3年半ほど務めた後、2005年にフリーランスのライターとして活動を始めました。
なぜ、ライター・編集者の道に?
ラリー
それまで仕事として文章を書いていたわけではないんですけど、小さいころから本を読むのは好きでしたし、書くのも好きだったんですよ。大学生のころからブログにテレビ番組の感想を書いていましたしね。
「社会的でないこと」こそ、日本のお笑いの価値
現在はお笑い番組や芸人さんに関するトピックを中心に、執筆活動を展開されていますよね。
ラリー
ただ、最初は「お笑いを中心にしたい」とはあまり考えていませんでした。実際、お笑いやテレビ番組に関することだけではなく、いろいろな分野の記事を執筆していましたしね。
では、なぜ僕が大好きなお笑いに関する記事を中心に手がけられるようになったのかと言うと、時代背景が大きかったのではないかと思っていて。本格的にライターとしての活動を始めた2000年代中盤から後半は、Webメディアが台頭してきた時期なんです。もちろん、インターネット自体はもっと前から存在していましたが、いわゆる記事というか、しっかりとした読み物をWebで読む文化は、その時期までは定着していなかった。
そんな中で、2008年にWebメディア『日刊サイゾー』で、お笑い芸人を評論する連載を持たせてもらったんです。長文で芸人を紹介したり、その芸を分析するようなWeb記事は、その時点ではほとんどなかったのでかなり目立っていたのだろうと思います。だから、たまたま多くの人に知ってもらえて、仕事の依頼をいただけるようになった。いまは芸人を紹介する記事も、お笑いを分析する記事もWeb上にたくさんあるので、同じような記事を書いても埋もれてしまうと思いますし、10年遅かったら「お笑いライター」にはなれていなかったかもしれませんね。
Webメディアでは、お笑い評論というジャンルが確立されていなかったのですね。ラリーさんがお笑いについて書き始めたとき、評論の対象であるお笑い芸人のみなさんや、テレビを制作されている方々からの抵抗のようなものはなかったのでしょうか?
ラリー
ありましたし、いまもありますよ。「素人が何を言っているんだ」といった意見を聞くことは少なくありません。でも、それはある意味では仕方のないことだと思っていて。たとえば、文芸や映画といった分野は批評されることが前提になっている。「作品を生み出すつくり手がいて、その作品を批評する人がいる」ことが定着しているわけですよね。
でも、お笑いというジャンルはそうではない。たしかに、ナンシー関さんのように、テレビ番組に関する批評を雑誌に書く「テレビコラムニスト」は、僕らのようなWeb生まれのライターが登場する以前からいました。でも、そういった先輩たちも「お笑い」自体にフォーカスを当てることはほとんどなかったんですよ。
「お笑い」というジャンルを担うつくり手のみなさんが、評論や批評に慣れていなかったからこそ、抵抗が生まれた。
ラリー
それに、お笑いってとてもシンプルなんですよ。つくり手は「観ている人を笑わせる」だけのために、お笑いをやっている。それ以上でも以下でもないんです。つまり、「面白いか面白くないか」だけが勝負。だからこそ、「こういう社会背景が」とか「このネタにはこういうコンテキストがあって」といった感じで、余計なものを読み込まれたくないんだと思うんですよね。
小説や映画は重層的な読み取り方ができるコンテンツだし、さまざまな背景やコンテキストを知ってこそ初めて分かる面白さがある。でも、お笑いはそうではないと思われている。観た人が笑うことだけがコンテンツの価値なのであって、つくり手側もそれ以上のものを求めていないからこそ、評論や批評に抵抗があるのではないでしょうか。
一方で、たとえばアメリカのスタンドアップコメディなどは、社会風刺や政治批判を含めてネタをつくっている印象があって、かなり社会性のあるコンテンツのようにも思えるのですが。
ラリー
おっしゃるとおりだと思います。それに比べて日本では、ネタを通して社会的なメッセージを発信している芸人が皆無なわけではありませんが、極端に少ないですよね。じゃあ、なんで日本の芸人がそれをやらないかと言うと、単に「日本ではあまりウケないから」だと思います。
求められているのは、社会的なメッセージではなく、単純な「笑い」なんですよ。社会的なものとは関係なく、単純に「優れたお笑いとは『面白いもの』である」とされている。でもそれは日本のお笑いのいいところだと思いますし、僕は好きですね。
お笑いを「評論する」のではなく、「紹介する」
お笑い評論が根付いていなかった中で、ラリーさんはいかにしてその方法論を編み出してきたのでしょうか。
ラリー
わかりやすいので「お笑い評論家」と名乗っていますが、あまり評論とか批評をしている意識はなくて。「紹介」に近いと思います。評論をするのであれば、「つまらない」と感じたものは「つまらない」と書くと思うのですが、僕はそういうことはあまり書きませんから。面白い/面白くないのジャッジは、少なくとも記事の中ではしないようにしています。
それはなぜでしょう?
ラリー
歪曲されてしまう危険性があるからですね。僕はお笑いが好きだからこの仕事をやっているわけですし、お笑い業界にとってプラスになることだけをしたいと思っています。
もちろん、批評をすることは、本当はその業界にとってプラスになる。それこそ、文芸や映画といった分野に関して言えば、客観的な批評が業界全体に好影響を与えてきた歴史もありますから。やっぱり、批評や評論って愛があるからこそ成り立つわけですよね。愛があるから「ここが良くない」と言えるし、つくり手側もその言葉をしっかりと受け取ることができる。
でも、SNSが普及したことによって、「ここが良くない」といった言葉だけが抜き取られて独り歩きしたり、あるいは“不純物”が混ざって伝わったりするようになってしまった。
批評が「ただの悪口」として伝わってしまうような。
ラリー
本来、批評と「ただの悪口」はまったく違うものですが、インターネットの上では同じものと見なされることが多いような気がしていて。だから、誰の得にもならない炎上や論争を避けるためにも、評論や批評をしないようにしているんです。
僕の活動のベースには、お笑い業界をもっと良くしたい、あるいは「こんなにも面白い人がいるよ」ということをできるだけ多くの人に知ってもらいたいという想いがあります。
もし僕が「この芸人さんのライブに行ったけど面白くなかった」と書いたら、SNSなどでは、表面的にそれを読んだ人が「面白くないんだ」とライブに行くことをやめてしまうかもしれないじゃないですか。多くの人にお笑いに触れてもらいたいと思っているからこそ、じっくりと真意を伝えづらいSNS中心のインターネットで誤解を生みがちなことを書いて、その機会を奪わないように心がけているつもりです。
具体化と抽象化を繰り返して、「好き」の解像度を上げよう
ご活躍の裏には、お笑いへの愛があるのですね。
ラリーさんのように自らの「好き」を仕事にしたいという人は少なくありません。しかし、それを実現するのは簡単なことではないはず。「好き」と仕事をつなげるためには、どんなことが重要だと思いますか?
ラリー
「好き」の解像度を上げる必要があると思いますね。僕の場合、「お笑いが好きだから」と、一度はテレビ番組の制作会社を選んだわけですが、実際に制作の現場に入ってみて、「つくること」は自分には向いていないことがわかった。そうして、お笑いについて「書くこと」に辿り着いたわけです。
いま振り返ってみると、小学生のころから理屈っぽくお笑いについて語ることが好きだったんですよ。志村けんさんの番組を観て、翌日学校へ行き「あのコントの間が絶妙だったよね」とか「あそこであの言葉を被せたのが面白かった」とか言って、友人や先生から「遠田は理屈っぽいね」と言われていた記憶があります(笑)。
つまり、僕の「お笑い好き」の解像度を上げると「お笑いについて『何が面白いのか』『なぜ面白いのか』を考えるのが好き」ということになると思います。大学生のときに、「お笑い好き」を深掘りして考えていれば、進路は違うものになっていたかもしれません。
なるほど。
ラリー
僕もそうでしたが、多くの人が自分の「好き」を意外とちゃんと理解していないのではないかと思っていて。いま思えば、小学校の同級生たちの方が、僕よりも僕の「お笑い好き」について深く理解していたのかもしれません。「遠田は、お笑いの理屈を考えるのが好きだよね」と。だから、身の周りの人の声に耳を傾けることも、自分の「好き」を理解することに役立つかもしれませんね。
それから、もう一つ。自分の「好き」を抽象化してみることもヒントになると思います。たとえば、好きな映画や漫画があって、その共通点を考えてみる。そうすると、映画や漫画というジャンルというより、「個性的な能力を持った人たちが集まり、一丸となって何かを成し遂げる物語」が好きだということが分かるかもしれない。そういった発見は、キャリア選択に活かせるかもしれないですよね。「いろんな能力をもった人たちをまとめ、大きなプロジェクトを動かしていく仕事が向いているかもな」とか。
だから、自分の「好き」をそのままとらえるのではなく、ときには具体化し、ときには抽象化して、とらえ直し続けることが大事なのかなと思いますね。
ラリーさんが自らの「好き」を活かした「お笑いライター」として活躍するに至った経緯と、「自分らしい」仕事を見つけるためのポイントを語っていただいた前編はここまで。後編では、お笑いを見続けてきたラリーさんに、「お笑いの流行の変遷から考える、個性のあり方」を聞きました。
とかく「あれもダメ」「これもダメ」と、芸人さんたちにとっては個性を発揮しづらい環境になっているようにも思えます。しかし、ラリーさんは「芸人たちは『自分らしさを出しづらい』なんて思っていないのではないか」と言います。お笑い芸人がぼくらに教えてくれるのは、「決められたルールの中で個性を発揮し続けることの重要性」です。後編もお楽しみに!
[取材・文]鷲尾 諒太郎 [撮影]高橋 団 [編集]小池 真幸